議員4名が新潟中越地震の救援活動に行きました

 雨宮たけひこ、沢田あゆみ、近藤なつ子、あざみ民栄の4人の議員が、11月11日、12日の2日間、新潟中越地震の救援活動に行きました。
 日本共産党新宿区議団が被災地の救援活動に取り組むのは、集中豪雨の被害にあった新潟県三条市(7月=松ヶ谷まさお、笠井つや子、近藤なつ子、あべ早苗の4人が参加)に続き、今年2回目です。

小千谷市卯の木地区に通じる唯一の道。12日、救援物資を届けに行きましたが、この風景にあ然としました

■11日朝6時、救援物資を積みこんで新宿を出発

 11日朝6時、区民のみなさんからいただいた物資、ご協力いただいた救援募金で購入した物資を車に積みこんで新宿を出発。

●届けた救援物資
 バナナ10箱、みかん10箱、ガスコンロ10台、カセットボンベ約100本、下着約300枚、化粧品、洋服、防寒具、紙おむつ、お尻ふきなど
※事前に現地と連絡をとって、不足している品物を準備しました。

 関越自動車道を通って、長岡へ。小出から長岡まではまだ工事中で、片道1車線。道路が波打っていたり、崩れていました。午前11時に、長岡市の「日本共産党中越地震全国救援センター」に到着。持ってきた物資は、「必要なものばかりです」と大歓迎されました。

■11日午後、小千谷市塩殿地区へ「物資届け隊」

11日、長岡市の日本共産党救援センターを出発。右から笠井あきら元参院議員、雨宮、あざみ、近藤、沢田の各区議

 午後1時、笠井あきら元参院議員といっしょに、地元の方の案内で、新宿から持ってきた物資などを積んで出発。「物資届け隊」として、小千谷市の塩殿地区へ向かいました。
 途中、土砂崩れで道路が半分なくなっている所も。家屋には、応急危険度判定で赤(危険)、黄(要注意)、緑(調査済み)の紙が張ってあり、ペシャンコにつぶれている家、傾いている家など、生々しい実態を目の当たりにしました。
 午後2時30分頃、塩殿地区に到着。飲み水を配布していた区長さん(自治会長)に会って、「日本共産党の救援隊です。救援物資を届けに来ましたが、よろ しいでしょうか」と言うと、「先日も来てくれて、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」と言われました。
 さっそく軒先を借りて、ビニールシートを敷いて店開き。笠井あきらさん、近藤区議、あざみ区議が品物をならべ、雨宮区議と沢田区議がマイクで「日本共産 党救援隊です。バナナやみかんや下着などをお届けにまいりました」と知らせました。20人ぐらいの方が出てきてくれて、「みかんを食べたかった」「寒くな るから防寒具がほしい」など、持って行った品物がほとんどなくなりました。「家の中は戸がはずれたり、壁がはがれてたいへん。今から寒くなるからね。共産 党さん、ごくろうさまです」と感謝されました。
 夕方6時に、長岡市の救援センターに戻りました。全国からボランティアの人たちが160人ほど来ていて、救援センターはいっぱいでした。夕食を食べた後、8時から打ち合わせに参加。塩殿地区のみなさんの要望を伝えました。

■12日、ガス・水道が復旧していない地域へ

12日、家のまわりが亀裂だらけでした

 朝から雨。雨宮区議、近藤区議、あざみ区議の3人は、小千谷市の打越、東片貝地区へ、要望を聞きながら、物資を届けました。打越地区は、まだガス、水道が復旧していませんでした。
 住宅が半壊しているなどで、つっかい棒をして住んでいる家もあり、「罹災証明書をまだもらえない。早く出してほしい。修繕ができない」「危険な状況だ。 大修繕をしないと住めない」など切実な要望が出されました。また、3日前に「ふとんがほしい」と言っていたというお年寄りの家に届けに行くと、「昨日、親 戚に引き取られていった」ということでした。
 午後は、塩殿地区の一番奥の集落に物資を届けに行きました。1軒1軒に声をかけて、持ってきた物資の店開き。「本当にありがたい」と喜んでいただき、み かん、バナナ、洋服など、品物を見ながら選んでいました。「障子の張り替えに来てほしい」という要望もありました。

■冷蔵庫を運んだり、タンスを起こしたり--「片付け隊」

  沢田区議は、「片付け隊」に参加。宣伝カーで小千谷市内を回り、沢田区議が「日本共産党の片付け隊です。倒れた家具を起こしたり、重い物を運んだり、お手 伝いします。何でもご相談ください」とアナウンス。そのまわりを「片付け隊」のメンバーが1軒1軒訪ねて、ご用聞きをしました。「冷蔵庫を外に運び出して ほしい」「タンスを起こして」などの依頼がありました。余震が続くなかで、多くの人が今片付けてもムダじゃないかと片付ける気力を失っているようでした。

■日本共産党の佐藤勝太郎市議の話

 帰りに日本共産党の小千谷救援センターに寄り、佐藤勝太郎市議に話を伺うことができました。佐藤市議の自宅も傾いてしまい、家族は市内の奥さんの実家に行き、市議は懸命に救援活動に取り組んでいるということでした。
 10月23日午後6時前、佐藤市議は、木造2階建ての1階にいた時にドーンと上下につきあげられ、「電気が消え、物が落ちてきて、一瞬何が起きたのか、 頭が真っ白、動くこともできなかった」。「このまま1階にいたのでは死んでしまう」と、奥さんといっしょに、娘と孫がいた2階に手さぐりで上がったが、 「真っ暗で何も見えない、何がどこにあるかもわからなかった」。すぐに強い余震が4回もきて、「建物が壊れるかと思った」そうです。その日は家族で車の中 に避難し、余震が続くなか、いつまた大きく揺れるかと不安のまま夜が明けたとのことでした。
 24日、道路はすべてひび割れ、隆起がひどく、車は通れない状況。電気、ガス、水道はすべてストップ。佐藤市議は30分歩いて市役所に着き、町の状況や 救援物資の状況、水の確保など打ち合わせして、住んでいる稲荷町の支援活動を続けたということでした。市からの食料の支給は、朝も昼も間に合わず、ようや く夜になって8世帯分としてパンが5個だけ届いたそうです。稲荷町は約130世帯。町会役員が地震後毎日役員会を開いて、救援物資の手配、町民の状況、い つ頃水がくるのか、市との連絡など打ち合わせをして、町民に伝達、手配したそうです。佐藤市議は、「日頃のコミュイニティの大切さを実感した」と話してい ました。
 深刻な実態を目の当たりにして、寒い冬をひかえて救援活動がまだまだ必要であることを痛感するとともに、この経験を新宿の災害対策に生かさなければと話し合いながら、帰途につきました。